2014.4.30

朝、玄関の扉を開けると思ったよりも雪が積もっていた。
平均して10〜20センチくらいの積雪だけど、
雪が吹き溜まる箇所では50センチ以上積もっているところもあった。
重い湿雪。


山荘の玄関前


今日は遅番、ゆっくり6時まで寝て

布団の襟ふ縫いをしてから、


発電機のメンテナンスを教えてもらいながら作業する。


覚えることが沢山あって大変だけど、
そのぶん充実感がある。


2014.4.29

天気が悪くてお客さんも少ない。
今朝は雪が舞っていた。


穂先にむかう夫婦

午前中は雪かき。
埋まった中庭を掘り起こす作業の続きをする。
雪面から掘ること約4m
中庭の扉がようやく開通した。

雪かき自体は慣れているが、
搔いた雪を頭の上に放っていく作業がハード。
粉雪舞い寒風吹きすさぶ中だけど、
アウターを脱ぎ、ネックゲイターを外し、フリースを脱ぎ、
汗だくになりながら作業した。
疲れたのか、昼休みに自室で調べ物をしていて
そのまま居眠りしてしまう。



晩には入山会という名の従業員飲み会を。

手頃な店を予約して、、なんてもちろん出来ないので、
すべて手作りの飲み会。

今回は焼き鳥、天ぷら、豚キムチを肴にする。
僕も体調回復に伴って昨日からアルコールを解禁。
天ぷら係を任命されたので、
ひたすら天ぷらを揚げながら久しぶりのビールを堪能。
缶ビールがたまらなく美味しく感じた。

途中から元バーテンダーの先輩、通称“マスター”が
BAR3180(さいはて:槍の標高)を営業開始。
標高が高いのでアルコールがまわりやすいのだけど、
みんな強い!
外にできたツララを撮ってきてウイスキーをロックで飲む人もいた。

GWの中休み、英気を養って怒涛の後半戦を乗り切ろうと、
従業員みんなで盛り上がった。

2014.4.28

晩に飛騨側からの凄まじい風の音で何度か目を覚ましたけれど、
本日も良眠できた。
朝になると風は止んでいたが、
マイナス7℃の冷え込みが体の芯から熱を奪っていく感じがする。

今日も客食を作るために4:20起床。
厨房に入り湯を沸かして凍った台拭きを溶かしてステンレスの作業台を拭くと、
拭いた後につく水滴がすぐに凍りついていく。


モップもパンク風になっていた


明日から天気が崩れそうなので、
今日はお客が少ない。
午前中に余裕があったので、
長野県警のレスキューハーネスの使い方を先輩たちとロールプレイングして確認。


スムーズに装着できるよう工夫


今日は昼食に12人分のチャーハンを作った。
味付けする時に少しづつ味を足していく派なので、
大量なるほど味を整えるのに時間がかかる。
料理にも大胆さを。

2014.4.27

客食を作るため4:45起床。
スッキリとした目覚め、頭も痛くない!

起き抜けの酸素濃度チェックは、、
SPO2:91/心拍数49
完璧な値でした!!!

苦しんでいたのが嘘のよう。


槍と朝焼けと鯉のぼり
早起きしたので、綺麗な朝焼けも見れました。


今日は良い1日になりそうな予感がしてたけど、
到着遅れの方が多く(いちばん遅い人は20時近かった)
残雪期にしては危なっかしい行動やなぁと感じた。
最後に到着した3人パーティはお互いの名前も知らないみたいだったし^^;

天気は下り坂、事故の無いことを願うばかりです。

2014.4.26

昨晩も良眠、体調も良好!
今朝の寝起きに問題がなかったので予定通り山荘へ戻ることに。

8:00に装備を身につけて槍沢ロッジを出発。
天気が良いけれど、良すぎて暑い。
それでいて氷河のような景色が眼前に広がり、
ザクザクと雪を踏んで進む感覚が面白かった。



道中出会った人は東鎌尾根をやってきたというお兄さん1人だけ。
日焼けで真っ黒なのに歯が驚くほど白かった。さわやか。
明日の上高地の開山祭に参加して、
蝶か常念に登って向こう側に降りるという猛者だった。

僕はデポしてた物を回収して、
高さに体を馴染ませるようにゆっくりと歩を進める。
息が切れて足を止めると、
雪渓を滑るように流れる涼風が火照った体を冷ます。

空をゆったり流れる雲の影が、
貸切の雪渓のスクリーンに光を巡らせるのに見とれる。

そしてまた数歩足を進める。


この景色が見えてからも遠い


途中腐った雪のラッセル捕まり、
山荘に到着したのが13時頃。

2日居ない間に山荘は客を迎え入れる状態が整っていた。
営業は明日からだけど、
今日宿泊を希望されてきた方が数名いらっしゃるので、
事実上今日が営業開始か。

少し休憩してから先輩方に客食作りのレクチャーを受ける。
料理は好きだけど、
人に提供するものを作るとなると素人同然。
今までへばってた分、
山荘スタッフの皆さんに迷惑をかけた分、
しっかり仕事を覚えなければ!


経過は良好、本来の自分を取り戻せたか?
今夜良眠できるかがカギだ。

2014.4.24-25

相変わらず夜間は高度障害が強く出る。
昨晩は座位で寝て、
苦しくて目が覚めては酸素を吸入するという
気も体も休まらない時間を過ごした。
目が覚めた時のSPO2の最低値は48
…さすがにコレはヤバい。

でも、こまめに酸素吸入していたおかげか、
23日の朝よりはマシな状態で離床できた。

社長とS山支配人が僕の芳しくない体調を考慮してくれ、
残雪期のルートの目印になるポール立てをしながら下山して、
体調が回復するまで標高1900mの槍沢ロッジで手伝いをする。
そういう名目で高度を落とさせてもらえる運びとなった。



ポール立てを教えてくれながらヘリ番で下山するK林さん撮影。
少し頭痛が和らいできて余裕が出始めたころ。

社長も写真を撮りながら一緒に下山。
「高山病の人はだいたい殺生ヒュッテまで下ろすと回復するんだよ」
おっしゃる通り、その辺りから楽になってきた。



昼前に槍沢ロッジに到着。

山荘スタッフにも迷惑をかけるし、
槍沢スタッフにもご厄介をかけて申し訳ない気分。

ここまでくるとかなり楽になる。
久しぶりに横になって良眠できて体力回復!
体の浮腫みも取れた。


ニノ俣の橋の橋板を取りつける工事や、
(冬の間は雪の重みで決壊しないように橋板を外してある)



屋根の雪かきなど、

体力仕事もそつなくこなせた。
体が動く!ダウンしかけていたのが遠い昔のよう。

ふた晩槍沢ロッジで世話になって問題がなければ山荘に戻るつもり。
もう大丈夫だと思うけれど、、
また同じ状態に戻りやしないか、ものすごく不安。
自分が高山病になるなんて思ってもみなかった。
すぐに笑い話になることを願うばかりです。

2014.4.23

昨晩は寝室に酸素濃縮機を持ち込む作戦で対応。
途中で何度か目を覚ますも、
その都度酸素を吸入して入眠することができた。

しかし、、
朝起きた時にひどい頭痛でしばらく身悶える。
SPO2は60を切っていた。
深呼吸をするとすぐに80台まで回復したけれど、
ちょっとこれはヤバいかも。。
幸い食欲はあるし、脳浮腫や肺水腫の症状はみられない。
けれど、不安は残る。

僕の報告を受けてしばらく考えたS山支配人は、
「今日は天気も良いし、無理の無い範囲で雪かきをしてくれ」と指示。



気持ちの良い天気に雪かきもはかどる。

体を動かすと呼吸をしっかりするからか、
雪かきをしているうちに頭痛も取れ、体調も改善。



昼休憩の際に測定。
しんどくは無いのだけど、、
これでは順応したことにならない。

どうしたもんか。。

2014.4.22

12:30、目が覚める。
ズキズキと頭が痛む。熱が出てしんどい時の感じ。

それから3時間、
眠れないかとベッドでゴロゴロしていたが、
吐き気も出てきたため事務室に酸素を吸いに行くことに。

ダウンの上下を着込んでゾウ足を履いて、
カウンター前の椅子に掛けながら酸素を吸入。
少し楽になって1時間ほどそのまま居眠りできた。

凍てつく槍ヶ岳。朝イチで撮影。
高度ボケした頭にも美しい。

ここまで高山病症状が出るなんて想定外。
忙しい時期に体調不良で他のスタッフに迷惑をかけるのが申し訳ない。
今日も室内業務をやらせていただいた。
食器類の熱湯消毒と、
雪を溶かしての水作り。
あまり寝れてないからか夕方頃にバテる。

リハビリの仕事をしていた頃に、
呼吸障害を持っている方を担当したことがある。
その時にレクチャーしたことを思い出して、いろいろ実践。
口すぼめ呼吸の効果を実感した。

2014.4.21

朝から頭痛がする。
昨日の吹雪の中の雪かきで風邪でもひいたかな?

朝のミーティングで「ちょっと頭が痛いっす」と言うと
先輩が血中酸素濃度測定機を持って来て「つけてみろ」と。
測定結果にびっくり!
SPO2メーターは68を示した。
昨日は高度に順応出来てた気がしたけれど、
高度障害が出ているみたいだ。

S山支配人が「これを使いなさい」と酸素濃縮機を持って来てくれた。


今日は酸素を吸いながら休憩。。

深呼吸や軽く体を動かしている状態だと80以上に回復するので、
布団運びや、掃除など小屋内業務なら問題なし。


ジェットヒーターやストーブで小屋内を乾燥させる。

暖房を入れると溶けた霜が室内に雨を降らせるので、
水の滴ってくるところにバケツを置いたり、
濡れた床をモップで拭き取ったり。


寝具が濡れないようにビニールシートをかけてあるところは、
シートの上にたまった水が池を作っていた。

今日は20時頃まで働く。
手を止めるとまた軽い偏頭痛が始まった。
早く順応しないかなぁ。。

2014.4.20

5:30起床。
昨日は少し頭が痛かったけれど、
今日は調子良い。少し高度に慣れたか?

朝のうちは雲の上にいて綺麗な景色が広がっていたのだけど、
だんだんと雲が上がって来て雲に包まれたと思ったら吹雪になる。

それでも雪かきを進めて、
GWに備えなければならない。
連休が終わるまでは忙しい日が続く見込みだ。

今日は吹雪の中、ひたすら雪かきをした。


上の窓の直下まで埋まっていたけれど、
だいたい1階部分まで掘り起こせた。


窓を掘り起こし戸板を外す作業。
吹雪が吹きつけてくるけれど、体は熱い。


除雪機もフル稼働


雪国生まれだけど、
今までの人生で雪かきした量を1週間ほどで超える勢いだ。
腕が上がらなくなる直前で今日の作業は終了。

今日から従業員部屋での生活が始まる。
4畳くらいの2段ベッドに男5人が各々のスペースを確保して、
しばらくの共同生活が始まる。
荷物も運び込んで引越しも完了。

みんなくたくたに疲れているけど、、

赤提灯を常夜灯にかぶせて入居祝い
お高いウィスキーを少しづつ舐めました。

2014.4.19

5時過ぎに起床。
入山したらしばらく入浴できないのでシャワーを浴びる。
いつも気に留めていない日常の行為が、
特別なことのように感じられる。

8時ごろ上高地のヘリポートに移動。
穂高岳山荘の空輸が終わってから槍の方にヘリが入る予定だったが、
コンディションの都合で先に飛ぶことに。


荷物を空輸出来るように支度して待つ


程なくしてヘリ到着。
乗り方のレクチャーを受けて、すぐに人送開始。
僕は2便目で搭乗。



みんなめいめいにカメラを取り出して束の間の北アルプス遊覧を楽しんでいた。




10分ほどで到着。あっという間だった。
ヘリから降りる時は、
機体の横1.5mほどの位置でピッケルを地面に突き立て耐風姿勢をとる。

一気に高度を上げたので、
体を順応させるために最初は深呼吸してリラックス。
ゆっくり雪かきをして小屋明け作業の動線を確保する。



2階客室の窓を開け荷物の搬入


戸板の内側


荷物も順調に空輸される。

雪かきしたり荷物を運んだりするとすぐに息が切れる。
一気に高度を上げたので体がついてきていないのだ。

休憩して、たくさん水を飲んで、
無理しないように作業をすすめる。



正面玄関脇の扉を開くと掘るだけで鎌倉が作れる状態。

初の任務はここから角スコップで雪を切り出して、
大鍋に入れ火にかけて水を作る仕事。
生活水を作る重要な任務だ。


大鍋5つを駆使して雪を溶かし、
水をろ過して300Lの保管容器に入れ、
溜まったら貯蔵タンクに保管。

1日で500L作れたら一人前らしいけれど、
今日作れたのは200L…

今日は昼過ぎから作業をし始めたし、
器材の準備や小屋明け作業のヘルプも入ったので、、と言い訳^_^;
要領が分かって来たので次は達成したい。

夕方ごろから軽い頭痛が始まる。
それでも夕食はしっかり食べれたし、大丈夫だろう。
8:30消灯、ブログを書き始めるがすぐに睡魔に襲われて就寝。

2014.4.18

2日目のマナー研修を終えて、
夕方からトラックやバンに荷積みをする。


人海戦術で作業はスムーズに終わる

作業後に最終ミーティング。
ヘリで現地入りしてからの動きや取り掛かる作業、
留意点の確認をする。

今日は穂高岳山荘が入山予定日だったが、
天気が安定せずに入山出来なかったとのこと。
同じ航空会社にお世話になっているので、
明日入山できるとしたら午後になる見込み。

晩には皆で会食して、
たくさん話をして、
しっかり寝て、、

体力も精神力も万全の状態で入山できそうです。

2013.4.17

朝8:30に事務所前に集合。
昨日は事務所2階の寮に泊まったため、
初出勤は30秒もかからなかった。
冬眠期間は終了、本日より仕事します。


最初の業務はビジネスマナー研修。
結婚式場で2500組の結婚の司会をしてきたという、
華やかなオーラをまとったお姉さんが講師。
朝から夕方までみっちりレクチャーを受ける。

その後、事務所に戻って残雪機のルートで道標になる竹の棒を準備したり、
衛星電話の公衆電話の使い方のレクチャーを受けたりした。
入山準備も最終段階といったところ。



担当者は真剣に説明を聞いていた。
トラブルがあった時に簡単に業者を呼べないから、
他力本願ではいかんのです。

軽作業の後に全体の打ち合わせがあり、
その後に入山会!
松本城近くの料理店にバス送迎で移動する。

松本城では桜祭りが催されていて、
無料で城内に入れるとのこと。
社長の計らいで夜桜を鑑賞してから料理店に入ることに。



しだれ桜と松本城


入山会。
半年間一緒に過ごすメンバーとは親睦の挨拶を。
グループの他の小屋で働く方々には、
半年後の下山会に元気で会おうとお互いの健闘をたたえ合う挨拶を。



2次会はカラオケ。
これから始まる山の中の生活を前に、
浮世の楽しみを味わい尽くす勢いで盛り上がってきた。

2014.4.16

昨日準備した荷物のパッキングを朝から行う。
75Lザックでいこうと思ってたけれど容量が足りず、
手持ちの中で最大の110Lを引っ張り出して詰め直す。
こちらだと少し余裕がある。

数年前に山を引退して隠居しているじいちゃんに、
準備ができて出発することを伝えにいくと
「雪渓では気をつけて行動しなさい」
と満86歳になる人と思えないキリリとした表情でアドバイスをくれる。

平湯温泉からバスに乗って17時半ごろ松本に到着。
槍の事務所に直行して入職の手続きを済ませる。
明日から槍ヶ岳観光株式会社の社員になる。


会社の支給品としてマムートの軽量ソフトシェルジャケットと、
モンベルのTシャツを頂く。

事務所2階の寮に入り、
先輩方と夕食を食べて無職最終日の晩を締めくくった。

20日に入山予定だったが、
天気が悪そうなので19日に前倒しになる見込みとのこと。

2014.4.15

朝イチで松本の事務所2階にある寮から、奥飛騨の実家に戻る。
昨日のハードスケジュールでちょっと疲れ気味なので、
父親の用事にくっついて車に乗せてもらい高山市内へ。
ドラッグストアに寄り入山のための衛生用品を見繕って購入した。

冬季の山には入ったことがあるけれど、
小屋明けで入山することは初めてなので
何をどれくらい用意したらいいか試行錯誤。

日焼け止めは必要だけど、毎日顔を洗えないからどうするか。
歯磨き粉は使っていいものかどうか。
風呂に2週間ほど入れない感覚ってどうなんだろうか。

数日間なら我慢したり代用品で済ませたり出来ることが、
月単位で考えなければならないとなると、なかなか悩ましい。



低刺激の赤ちゃん用品に着目したラインナップ。
イオンの力も取り入れる。

買い忘れたものは松本で補充するとして、、
あとは、実際に経験してから改良を重ねていくしかない。

父親の用事にも付き合い夕方ごろ帰宅。
疲れが抜けないけれど、
持って行く装備のチェックは今日やっておかないと。
と気合を入れた時に幼馴染のIshiくんから連絡あり、
「実は家の作業場にプライベートウォール作ってるんやわ。遊びに来いよ」
とお誘いが。。

そりゃあ、行くしかないでしょう!!



すべて手作り、三角ボテまでついてる!

これから自由に使ってくれていいとのこと。
なんなら、拡張しようぜ!と盛り上がった。
Ishiくんは地元の岩情報も持っていて、
開拓できそうなエリアがたくさんあると話す。
秋口に遊びに行こう!と十数年ぶりの遊ぶ約束を交わす。

1時間ほど登って話して。
疲れてたはずなのに、すっかり元気になる。
家に帰って装備の最終確認を済ませ、本日のミッション完了!

2014.4.14

少しだけ早起きする。
昨日のつけを払うべく荷造りして、
段ボールの梱包完了。ジャスト10kg!

ふうっと一息つきたいところだが、
今日はやらなければならない事が目白押し。
郵便局で口座の手続きと、
訳あって山道具が必要になった友人に私物を郵送。
滑り込んだ理髪店で2ヶ月放置していた髪をカット。
法事で飛騨に来ていた親戚のYちゃんとおばさんをバスターミナルまで送迎して、
友人の友人が僕の家の近くの沢に入った時に無くした携帯電話の捜索。。
夕方に松本まで行かなければならないスケジュールの中、
すべて順調に事が運んで完遂できた。

夕方、待ち合わせ時間の10分前に予定通り槍ヶ岳山荘の事務所に到着。
先日他界された野田さんの遺品整理を行なう。
僕は形見分けで緑色のアークテリクスのウインドブレーカーと、
槍の過去の支給品などを頂いた。

晩は黒百合のYさんが主催して下さった、
『Salut NODAの会』に参加。
Salutは仏語で『またね』という意味らしい。



100人近い関係者が集まり、
追悼の念を胸に刻んで前に進もうという趣向の会。
「決して彼は周りの人が足踏みしていることを良く思わないだろう」と語った方がいた。
「現代の加藤文太郎」そう表現した方もいた。
物凄いモチベーションで山と関わっていた先輩の面影は、
まだ縁の浅かった僕にさえ大きな糧を残してくれた。

ウインドブレーカーを試着している時の立ち姿が野田さんに似ていたと、
野田さんの同期のTさんからコメントをもらう。
器の大きさは到底かなわないけれど、
尊敬する先輩に負けないくらい山で重宝される人になりたい。

2014.4.13

今回の入山ではバックパック1つと段ボール1つを持ち込む予定。
段ボールの荷物は空輸の都合上10kgに抑える必要がある。
引越しの荷ほどきが殆ど出来ていないので、
「あれを持って行きたいけれど、どこに片付けたかなぁ…?」
と段ボールを漁って探し物を見つけては、
新しい段ボールに詰めなおす作業を1日かけて取り組む。


居間に荷物を散らかして作業。

段ボールへは着替え類、トレーニンググッズ、本などを入れた。
昨日の深酒がたたったのか体が重く、
作業半ばで撃沈。
仕上げ作業は明日に先送り作戦を完璧に遂行した。

2014.4.12

朝8:30、後部座席いっぱいに荷物を詰め込んだ車で大阪を出発。
挨拶を兼ねてクラクションを2回鳴らして、
心の中で『行ってきます』と呟く。

お世話になったけれどロクな挨拶も出来なかった人に、
もっともっと一緒の時間を過ごしたかった人。
無理なくゆっくり車を走らせて実家に戻るつもりだったけれど、
休憩したら人恋しさの重力に引っ張られてかなわないので
一気に帰路を走り抜けた。
交通安全週間なのは分かっているけれど、
アクセルの踏み込みが自然と強くなる。
たまたまラジオから流れてきた
スピッツの『空も飛べるはず』に泣けてきた。

儀式的なドライブで昼過ぎに実家に到着。
気持ちを切り替えて、
実家に転がっている引越し荷物の荷ほどきを。
そして、入山のための荷造りを。


晩には、地元に残っていた幼馴染の友人たちと飲んだ。
最後に会ったのは大阪で生活をし始める前だったか。

懐かしくて、どこか落ち着く心地よい席だった。

みんな頑張っている。
数年会っていなくても、より親密な関係になっているような気がした。

2014.4.11

本来なら今日で実家に引き上げる予定だったが、
昼ごろに取材が入るかもしれないという話があり帰省日を1日遅らせ調整していた。
昨日の時点で取材の話は無くなっていたのだけど、
もう1日ゆっくりと過ごす頭が完全に出来上がっていた。

朝TVを見ていると、
なんと今日から造幣局の桜の通り抜けが始まるとのこと!
仕事終わりの友人と一緒に、
大阪の一幕において最高のクライマックスを堪能してきた。


素敵な老夫婦

季節は巡る。
春をしっかり胸に括って、新しい季節へ。

2014.4.10

たまたま縁あって、関西テレビの記者さんから連絡があり
急遽取材というものをを受けることになった。
僕のこの転職に興味を持っていただいたよう。

引っ越し作業の様子やら、
ホームジムのOCSで登っている様子などを撮影。
朝から夕方までカメラを向けられて、
いつもより挙動不審になっていたような気がする。
平常心を装って引っ越し作業をしたけれど、
実はどこに何を片付けたかを把握できていない。

撮影クルーの車に乗って移動したり、
街中でカメラを向けられて通行人の視線を感じたり。
大阪生活の最後にまさかこんな展開が待っているとは。。
普段味わえない体験をしました。


クライミング初体験の撮影クルー
撮る側と撮られる側が交代した一幕。

前回、最後だと宣言してきたけれど、
縁あってOCSに再訪できた事が嬉しかった。

2014.4.9

朝イチで親戚の叔父さん宅へ。
先日他界された叔父の霊前でようやく手を合わせることができた。

個人的な用事で動き回っている身勝手な僕は、
お世話になった叔父の葬儀に参加できなかった。
そんな不届き者の僕に、
叔父が使っていた車を譲ってくれるという話が持ち上がる。
なんとありがたい話!
最近、いろんな方の厚意に甘えてばかりで恐縮です。

旅行が好きな叔父だったので、
僕もこの車に色んなところに連れて行ってもらおうと思う。
早速、引っ越しの荷物運搬のために大阪へ遠出です。


日産TIIDA、運転しやすく快適なドライブでした。


ゆっくり走って16時すぎに無事に大阪に到着。
引っ越しの準備をして、
夕食はこっちで一番お世話になった店、ShotBar Leeへ。

気合いの入ったチャーシュー丼、何度ここでこれを食べただろうか。。
オーストリアのビール、エーデルワイスと一緒にいただく。

思い出の味を堪能して、
このバーを通して出会ったKazさんとMariさんが僕が最後の日だと聞いて来店してくれ、
一緒に飲んで居心地の良い時間を過ごす。
『大阪での思い出作り』を考えた時にいちばん最初に浮かんできたことを、
最高のタイミングで実行できたことが嬉しい。